自閉症の子どもの親の目線と技術の視点で活動します – 編集長メッセージ

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自己紹介

はじめまして。
私は、自閉症のお子様の成長を支援している、古林紀哉です。

自閉症のお子様の療育は専門家に任せるだけでなく、ご家庭での療育が重要です。私は自閉症のお子様を持つご家庭向けに、美しくデザインされ簡単に使えて親しみやすい自閉症療育グッズを提供しています。

自閉症の原因はまだ解明されていませんが、世界中の50年以上の研究成果として、自閉症のお子さんの療育方法は確立しています。絵カード・スケジュール・カレンダーを使った視覚支援と呼ばれる療育方法は、もっとも成功している方法の一つです。当社は、視覚支援を家庭で始めるためのスタートキットを開発し、販売しています。

現在15歳の私の三男は、自閉症で養護学校に通っています。コミュニケーションはできますが、まだ言葉は獲得していません。私はIT企業のサラリーマンとして働きながら、自閉症の療育の勉強を約10年続けてきました。そして、家庭内では自閉症専門家の指導を受けながら、多くの支援グッズを手作りして三男の家庭療育を行っています。専門的な療育手法は確立してるものの、家庭内で行うためには、ご家族に相当の知識と手間をかけた支援グッズの準備が必要なこともわかりました。IT企業で研究開発と企画調整に携わってきた私なら、自閉症のご家庭の苦労を軽減するような自閉症療育グッズを開発して提供できると確信し、2015年に独立起業しました。

私の提供する支援グッズに興味を持たれた方は、一度当社の支援グッズの写真をご覧になってください。手作りグッズとは違った、美しさと使いやすさを両立した仕上がりに多くの購入者の方が驚いています。実物を手にとってみたい場合は、お気軽にご相談ください。特にカードフォルダーは抜群の操作性があり、手先の不器用な自閉症のお子様でも簡単に使うことができるため、高い療育効果が期待できます。

古林紀哉のプロフィール

私は2015年の5月までは、上場企業に勤めるサラリーマンでした。現在は、自閉症児の家庭療育を応援する起業家として活動をしています。

2001年生まれの私の三男は重度の自閉症で、まだ言葉が喋れません。私は、三男のことをブログ上では「パンダ君」と呼びながら2007年頃からブログやツイッターで情報発信やつぶやきをしてたので、「パンダパパ」という名前をご存知の方もいると思います。

私の出身は岡山県倉敷市で、大原美術館や考古館のある白壁の町並みで有名な美観地区や、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋のあるのどかな地方都市です。

高校時代にコンピュータに興味を持ち、大阪大学基礎工学部情報工学科に進学しました。しかし大学に入ると勉強をそっちのけで、クラブ活動に没頭します。高校まではバドミンをやっていたのですが、何を思ったのか航空部に入りました。競技用グライダーを操縦する活動です。見た目の華やかさとは違い、グライダーを飛ばすための日頃の整備と滑走路での地上作業は大変なことです。大げさに言うと一人が10分飛行するために15人での1ヶ月準備が必要なくらいでした。私が安全対策を叩き込まれたのは、この航空部のおかげでした。クラブ活動に熱中したため、得意だった数学の単位を落としてしまい、留年するという挫折も味わいました。

話を戻すと、当時はソフトウェア全盛時代で「日本国民1億2千万人全てがプログラマーになっても、足りない」と言われていました。そして、NHKスペシャルで「電子立国:日本の自叙伝」が放送された頃でもありました。
そういう状況の中、プログラマーのバイトをしながら半導体自動設計の関係の研究するために、大学院に進学し、1992年には幸運にも博士号(工学)を取得しました。

最初の就職は、神奈川県にあるNECの中央研究所でした。そこで半導体自動設計の研究をするのですが、ある夏に中央研究所に一ヶ月ほどインターンで来ていた米スタンフォード大学の大学院生が後に億万長者になります。その影響もあり、私は活動の分野をインターネット方面にシフトしていきました。

彼の名前は、デヴィッド・ファイロ。そうです、Yahoo!の創始者の一人です。

NEC時代の後半には、一年ほど米UCSDで客員研究員をやったり、インターネットサービスプロバイダー部門であるBIGLOBEでサイト企画をしたりしました。しかし入社から10年が経とうとしている頃、巨大な企業の水は私には合わないと悟り、転職します。

2002年に転職したのが、野村総合研究所(以下、NRI)です。NECのようなメーカーは自社の独自技術を追求します。NRIは他社の良い技術を組み合わせるのが得意です。NRIでは始め技術調査を担当しました。

NRIに転職して1年ほど経った頃、三男の三歳児健診で自閉症の疑いが高いことが発覚しました。それからというのは、我が家での三男の待遇が180度かわりました。もう、特別待遇ですね。良いと言われものは、いろいろやってみました。休日も家族5人で積極的に外出していました。今振り返ると、私と家内に自閉症の知識がなく、やみくもに生活していたように感じます。

療育を大きく変えたのは、三男が8歳(小学2年)の時に、鎌倉にある民間の療育機関に月1回通い始めてからです。

2009年頃です。私の仕事もマネージメント系になっていきます。通勤電車の中で読んでいた日経の専門誌は、自閉症関係の本になっていきました。

療育機関の指導により、家庭には構造化やPECS(絵カード交換式コミュニケーション指導法)を取り入れていきました。そのおかげで、とても扱いにくかった三男は、徐々に安定していきます。

NRI時代の後半では企画部門で、新規事業支援、研究開発マネージメント、事業計画マネージメントの仕事をしています。その間に、名古屋大学大学院での講義と研究指導も引き受けさせていただきました(2010〜2012年:客員教授)。

2010年頃、日本にもスマホブームに火がつきます。私の技術を生かして、自閉症児向けのアプリ「絵カード・コミュニケーション」を2010年にリリースしました。このアプリは、嵩張る物理的な絵カードブックを外出時にもっていきやすくすることと、絵カードを作成する手間を軽減するのが目的でした。

そして私は、だんだんと気づいていきます。自閉症児の療育手法には効果の実証されているものがたくさんあるのに、それが公立の特別支援学校や養護学校そして家庭内に普及していないことを。

療育機関の指導員や書籍の内容に従って家庭療育を進めようとしても、我が家でさえ、その通りには進みません。療育機関の指導を同じように受けても、言われた通りに家庭療育をする家庭もあれば、家庭療育をほとんどしない家庭があることもわかってきました。

準備に手間がかかりすぎて、療育機関の指導を家庭で再現できないからだと思います。しかし、一度準備をすれば他の家庭でも再利用できるものが山ほどあります。世界中の研究者が自閉症児の療育手法を確立してくれました。次は、その療育手法をいかに効率的に利用するかを追求していく時代だと思います。

2015年11月、私は株式会社古林療育技術研究所を設立しました。私は法人として、自閉症のお子さんを持つご家庭を応援したかったのです。既存の療育手法を、支援グッズや教材の中に入れ込んでご家庭に提供していきたいと思います。

古林紀哉の略歴

1982年 岡山県立倉敷南高等学校 卒業

1987年 大阪大学基礎工学部情報工学科 卒業

1992年 同大学院 修了。博士(工学)

1992年 NEC入社。

  • 中央研究所で半導体自動設計やセキュリティの研究に従事
  • (1999年 米UCSD 客員研究員)

2002年 野村総合研究所入社。

  • 技術調査、新規事業推進、研究開発マネジメント、事業計画マネージメントに従事。
  • (2010〜2012年 名古屋大学大学院 客員教授)

2015年5月 野村総合研究所を退職。

2015年11月 株式会社古林療育技術研究所を設立し、代表取締役社長に就任。